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共著物語

秋山真琴×泉由良 並行世界

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洗濯物、丁寧に

垂直に九十度、ずっしりとした重みを手首に感じながらジェットスチームトリガーを引くと、蒸気の弾ける音と共に、アイロンの底面から大量のスチームが放たれる。紫煙とは似ても似つかない、充分に熱せられた水蒸気は、室内の湿度をわずかに上げると、すぐに…

姉の帰省

そろそろ起きる頃かな、と部屋に目を向けると、白い夏掛けに包まった姉はまだ穏やかな息を立てて眠っていた。洗濯カゴから拾い上げたTシャツを折り畳んでたん、たん、と叩く。姉の白いTシャツ。染みはうっすらと、殆ど見えなくなっていた。 昨夜、久し振りの…

久々に会った

目を覚ますと父が洗濯物を干していた。洗濯機の中で充分に撹拌され、こぼした醤油が残した斑点や、トマトケチャップの染みが抽出され、買ったときの白さを取り戻したシャツは、くしゃくしゃになって籠の中で丸まっている。父は、人指し指と親指でシャツを注…

土のあじわい

久々に会った娘と食事を摂って店の外に出ると、外は夕暮れが去りゆく頃合いで、そして彼女が発光しているのが分かった。「光るの、母さん譲りだな」「お父さんは光らないんだね」「近頃は発光する人間も減ったからなあ。お前も何処かに身を寄せているのか? …

ひかるひと

「このあたりは、あまりひからないね」娘からの信号を受けて、左目を開けてみれば確かに周囲は暗闇に包まれていた。体表面を守っている防塵液が、眼球に染みこむ前に左目を閉じて、意識をこめかみから生えている二又の触覚に戻す。念のため第三膝を折り畳ん…

塵芥の降る

遠い天井から、白くきらきらひかる粉のようなものがいっとき降り注いで、やがて止んだ。 「また死んだね」「また殺された」「殺されてない」「逃げた」「兎に角消えた」「死んだの?」「逃げたの?」「殺したの?」「死なせるの?」「死ぬの?」 塵がさらさ…

袋小路

逃げ込んだ先は袋小路で、すぐに追い込まれたことを知った。じっくり観察している暇はないけれど、抜け道は見当たらず、通りに戻った方が得策に思われる。しかし、そんな時間は元よりなかったのか、振り向いた先に待ち構えていたのは、にたりと三日月形に歪…

象牙と白骨

夜の路地で女が独り嘔吐している。苦しそうに咳込みながら、口から細く尖った象牙を延々と溢している。誰も居ない、助ける者は居ない。象牙が歪んだから口許から止め処なく落ちる。長い時間が経って、やっと嘔吐を終えた女は肩で息をしながら涙目のまま体を…

椅子が喋る

物言う魔剣や物語る魔書。世には、人語を解する魔性の無機物がありふれているが、喋る椅子というのは初めて見た。財という財を積み重ね、屍を踏み越えてきた老人は、玄色の顎鬚をしごきながら梟のように笑った。そうして愉快そうに、象牙を組み合わせて作ら…

檸檬投下

椅子が喋る。独りで喋る。椅子は喋る。 部屋に迷い込んできた蝶を、子どもは追い掛けていた。椅子のうえに立って伸びをして虫取り網を振り回していた。網と棒の持ちかたが逆さまだ。まだ小さい子どもにはそれが分からない。ねえ、と、子どもは云う。蝶々に、…

今夜はメンテナンスに出そう

「何かがおかしい」確信を込めて独白した男の目は、しかし落ち着きなく左右に揺れており、言っていることに対して自信を持っているどころか、自分が何を言っているのかさえ把握できていないようであった。「断絶がある。蝶。連続していない。電車。意図して…

違う駅

下りた駅が違う。そんなことが嘗てあっただろうか、という懐古は無い。何処で間違えたのか、という迷いも無い。心に鍵が掛かっている男が為すべきことは、ただバックアップを同期し直して正常な座標へ戻るまでだ。理由の解明は俺の担当ではない。 反対側のホ…

鍵が解かれて私はほどける

ハートに鍵を掛けてある。閉じ込められた心は、あらゆる外部刺激から遮断されていて、なんのリアクションも返さない。どんなプロトコルも解さない。熱も光も、悪意も無理解も、閉ざされた心に影響を与えることはできない。定められた時間が通り過ぎたので、…

悲願花

鎖骨に鍵を挿し入れて、回す、あのひと。 「行ってくるよ」 あのひとは鍵を掛ける。玄関脇の小部屋で、私の鎖骨に鍵が掛けられると、全身の骨がロックされて私はもう動けない。彼は遊びにいくのかな。お仕事かな。お仕事のあとは遊びかな。女の子がいるとこ…

キレイダネ

鎖骨の窪みに、零れ落ちてしまいそうになるまで日本酒を注ぎ、胸から下をコンクリートで固定してしまう。やがて女は、苦悶の表情を浮かべ、身を捩りはじめるけれど、すかさず「君は美しい、もう少し静止して、君の美しさを僕の目に焼き付けさせてほしい」と…

レプリカキット

「キレイダネ」と先生は云う。僕は平均を保った姿勢で立っている。「イイ肩のカタチだ」先生が肩を撫でる。先生は僕のデッサンをしているのだ。腹を、胸を、脇腹を、腿のあいだを。それを先生は〝デッサン〟と呼んだ。 僕はレプリカキットなのに、先生はそれ…

アンテク

「綺麗だ」と思う感情は、果たして誰のものだろうか。少なくとも僕のものではない。水平線に沈む夕陽は、自然現象以外の何物でもなく、人の手は介在しえない。日々、繰り返される現象に、以前の人類は美を見いだすことができたのだろうか。それとも綺麗でな…

目蓋の裏

目蓋の裏に独り分の感情がひしめいている。もう、前時代的なものばかりである。ときどきそんな捨てる物のような塊からこぼれ落ちて知れる言葉がある。彼はそれに気付いて振り向いた。 「淋しい?」 彼は独り分の珈琲を作りながら振り向いて問うた。 「淋しい…

天地は変わり、時は隠した

七日間の暴風雨を経て、時という概念は崩壊した。通りを行き交っているのは無数の彫像。井戸端会議に興じている女たちも、珈琲を片手に談笑している男たちも、その形をこの世界に刻みつけたように停止して動かない。時は、しかし在り方を変えただけで、完全…

未来の夢

……緑。 娘は或るときゆめをみたのだった。 きみは泣かなくても、わらうことが出来る。 だーれ? 娘は心のなかで云った。辺りは暗い。 僕は、未来。だからまだここに居ない。でも気持ちは光より速く届く、何処へでもね。 みらい? きみは明日に怯えなくても、…

祖母には両手足があった

娘は常にひとりだった。頭から生えているのは、ただの髪の毛に過ぎず角でも蛇でもなかった。額には第三の瞳が開いていることも、閉じていることもなく、単につるりとしていた。大きく口を開いても、犬歯はかろうじて見えるくらいで、舌が二股に裂けているこ…

欠けているもの

あのとき、僕はほんの小さい子どもで、祖母は元気で生きていた。僕は船着場でひとり片手に怪獣の人形を持って戦わせていた。怪獣はひとつだけだから、対戦相手は空気だ。空気が負けて、僕は一時休戦を云い渡した。男がひとり、船着場の端から往復してきた。…

不死身の人魚

その島の住民は死なないことで知られていた。煮ても焼いても食えないばかりか、串刺しにしても八つ裂きにしても、血の一滴だって垂れはしないのだ。はじめっから、そういう形をしていたかのように、のっぺりとした断面を見せながら、両断されたばかりの男は…

鳥のような男

鳥のような男に恋をした。彼の幅広の帽子には色とりどりの羽根が織り込まれており、つぎはぎのマントは迷彩柄を思わせ、草原だろうと荒野だろうと砂漠だろうと身を隠すことが出来そうだった。パイプを銜えた男が吐き出した煙が流れてきて、私はそれを心肺い…

旅が終わったら返しにくるさ

一言にまとめると、鳥のような男だった。幅広の帽子には色とりどりの羽根が織り込まれており、つぎはぎのマントは迷彩柄を思わせ、草原だろうと荒野だろうと砂漠だろうと身を隠すことが出来そうだった。パイプを銜えた口の端から、ぷかりと煙を吐き出しなが…

ペンネ

振り向くと「やあ、」と相手は気さくな笑顔を見せた。 僕は警戒する。その途端、「そんなに警戒するなよ」とそいつは云った。 「誰?」 「私は単なる綱渡りだよ。その万年筆、貸してくれないかな?」 僕は確かに銀色の万年筆を持っていたが、見知らぬ綱渡り…

鎧戸の隙間から

視界は極めて限られている。床は、毛の長い絨毯がすきまなく敷かれており、どこで寝転がっても快適だ。据え付けられている棚の下段には紙おむつ、上段には保存食が保管されており、一応の生活はできる。扉はない。窓はあるが、嵌め殺されており、その窓ガラ…

方舟と如雨露

そもそもは崖だった。次に技師だ。崖に這うように技師が設計したこの塔に住み始めた祖先は、これならどれだけ暴風雨が続こうと大丈夫ですよ、と技師に勧められたのだと云う。成る程、床下が浸水する都度、我々一族はこの塔の上の階に定位置を移した。崖はと…

暴風雨

側頭部をぎゅっと押さえこむような、圧迫感を覚える頭痛だった。あまりの苦しさに目が覚めてしまい、しかし寝起きの頭では、頭痛に苛まれていることに気づくのに時間を要した。それに気がついてからは、天井の木目を眺めながら、この原因不明の苦しさから解…

空に住む魚

何日間も続いた暴風雨のあと海から光が立ち昇った。スペクトルを綺麗に分かつ、七色に上昇する滝。その頃はそんなことは分からなかったが、ただ魚はその光に乗ったのだ。あれは虹だったんだ。 奇妙なほどの暴風雨が続いたあとだった。創造主が人間を滅ぼそう…

西瓜曜日

ぽわんぽわんとシャボン玉を浮かべると、すぐに結露がびっしりと浮かび、反射された太陽光が、地面に虹を描く。ものすごい湿度だ。水風船のようになったシャボン玉は、蛇行するように空をゆくと、すぐに割れてしまい雨となる。水溜まりは瞬く間に蒸発して、…

一週間

安息日に、市場へ行って、糸と朝を買ってきた。 月曜日は遠くへ歩く。歩く歩く歌いながら歩く。道はとても長く流れて、きみの時間が決して停まらないことを示しているかのようです。 火曜日は風呂に入り、4時間浸かる。読書が捗る。浴室では煙草が吸えない…

ロープウォーク

かおを見て話すのは初めてのことだ。 「コバさん、はさみ要りますか?」 それが五反の第一声だった。真如は一瞬、虚を突かれたが、 「はさみは、持っています」 答えてから改めて名前を名乗り、頭を下げた。 「よろしくお願いします」 五反も軽く頭を下げる…